しろあまの部屋

アラサー女子が自分の美容や心のあり方について書くブログ

汝は毒親なりしや?〜「毒になる親」をアラサー女子が読んでみた〜

 しろあまが今読んでいる本です。

「毒になる親」スーザン・フォワード著。

毒になる親 一生苦しむ子供 (講談社+α文庫)

毒になる親 一生苦しむ子供 (講談社+α文庫)

 

 この本、1984年に初版が出ているのですが

それから30年以上出版されているベストセラーのようです。

 

なぜ「毒になる親」を読み始めたのか

しろあまはこのたび結婚しまして、「自分が親になる」ということについて

より深く考えるべきだと思いました。

振り返ってみると、自分の生まれ育った家庭は

いわゆる「機能不全家庭」ではあったと思います。

「毒親」という概念は、

田房栄子さんの「母がしんどい」で拝見しました。

 

母がしんどい

母がしんどい

 

 「母がしんどい」を読んだ時の感想としては

「あ、うちの親、普通だったんだな…」

「親が普通であることと、

家庭がうまくいかないことって関係ないんだな」

という2つの感想を持ちました。

 

ですので「毒親」という概念については、

親にダメージを与えられたという観点より、どちらかというと

自分が「毒親」になってしまうのではないかという方に強い恐怖を覚えます。

 

「相手の領域を侵害してしまう」という言葉で語られる毒親。

相手の領域を侵害してしまうことも、侵害されることもよくあるしろあまにとって、

他人ごとではないと思いました。

 

何故他者と自分の領域がわからなくなるのか

「精神が未熟で、考える習慣を持たないから」というのがあると思います。

自分の精神が未熟であるとき、他人の言葉は非常に耳に心地よいものです。

自分の頭で考えなくても、より良い考えを聞きかじり、それを口にすれば

素晴らしい人に近づけた気がする。

でも、それは、自分と他人の区別がつかなくなる地獄の入り口 です。

 

あなたの親切心は私を破壊する

「親切心」というものは厄介なものです。

「良かれと思ってやった」ことが裏目に出た時、

人間関係は容易く破綻の危機を迎えます。

「あなたのために」「事情を考慮して」「言ったのに・してあげたのに」

こう言われた時は危険信号。

「それはあなたが思ってやったことであり、私の喜びではない」

ということはとても大事なことなのです。

親切にしたいという気持ち、何かしてあげたいという気持ちは

根本的には良いことですが、それは

「他者に干渉し、自分の領域を広げたい」ということの裏返しです。

 

お互いが独立した人間であるということを確認する

たとえ相手が年下であろうが友人恋人配偶者であろうが、

自分が産んだ子であろうが、自分以外の人はみな、他人。

人のものさしは人のものさしであり、

自分のものさしは自分のものさしです。

それを履き違えた時、自分と他人の境界線はあやふやになり、

依存や支配、モラルハラスメントといった

人間関係におけるトラブルが生まれるのではないでしょうか。

 

まだ読書は途中ですが、「毒になる親」読んでよかったです。

 

しろあま